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音楽を楽しむマーラー 交響曲第9番ショスタコーヴィッチ ヴィオラソナタ

音楽を楽しむ

交響曲第9番  グスタフ・マーラー作曲

この曲は始めから好きだったわけではない。私が高校生の時分、ベートーヴェンの中期の交響曲などを繰り返し聴いていた頃、 兄が絶賛していのを聞いたのが出逢いだった。当時、既にマーラーの交響曲の1、3、6番などは聴いており、6番などは結構好きだった。しかし、この9番は 解らなかった。私がいつも聴いていた曲は、聴かせどころや盛り上りがはっきりしていて、そうした 「ミエ」を切る場面で大層感動したものだった。しかしこのマーラーの9番は「ミエ」を切らないし、狂ったような楽想を持っているように感じられた。感想と して、兄に「腐った音楽」と言ったことを覚えている。好きになったのは、大学に入ってからだと思う。そして、一度好きになってしまうと、どこが気に入らな かったのか全く解らないような、そんな曲であった。

今でも、この曲は「腐った音楽」だと思う。昔は貶す意味であったが、今 は誉める意味:果実や肉が傷む直前に最高においしくなるような、そんな雰囲気がある。実際、この後の交響曲10番は、彼岸の音楽のような不気味さが充満し ていて、マーラーが「大地の歌」と「9番」の傷む寸前の境地に留まれず、遂に崩壊していったことが感じられる。(勿論、10番の恐しさは、これはこれで最 高の音楽の一つになるうるべきものであっただろう。ただ、私は、現在の姿は、第一楽章も含めて、断片でしかないと考えている)

時間のないときなどに、第3楽章だけを取り出して聴く。この音楽は最も マーラーらしい楽章だと言っても良いとさえ思う。混沌、憧れ、崩壊。マーラーらしいキーワードがぴったりする。アルマやバウアー=レヒナーの回想の中に共 通して出てくるエピソードに、他の音楽家達が揃って耳を塞ぎた くなった 「カオティックな音の集合」をマーラーが大変好んだ、というものがある。

マーラー達がヴェルター湖畔を歩いていると、クロイツベ ルクというところの祭日で「さらに悪い悪魔の宴」に出会うことになった。回転木馬、ブランコ、射的場、人形芝居などから数えきれないほどの手回しオルガン の響きがきこえてくるだけでなく、軍楽隊と男性合唱もそれに加わり、これらのグループは、同じ森の開拓地の中で全くお互いに注意を払うことなく、信じがた いような音楽の地獄絵をくりひろげていた。これを耳にしたマーラーは、「聞こえるかい? あれがポリフォニーというものだ!」と語った。(「マーラー」船山隆著)

この楽章はまさしく、これを音化したものではないだろうか。ここでは、 絃が一心不乱に弾いている側で金管がパオパオと吹いていたりして、各々の楽器がまるで勝手気ままに自分の旋律を演奏しているかのようだ。これが総体とし て、何とも言えなく雑然とした印象を与えながら、マッシブな力感を醸し出している。そして短いこの楽章の後半では、次の第4楽章に繋がる楽想、抑え切れな い憧れが迸り出たような旋律、が登場するが、これがまた極度にマーラーらしい。そしてこの憧れも、徐々に不吉な感じで盛り返してきた混沌に飲み込まれてい き、最後は崩れるように終結する。この喪失感も素晴しい。私はこの楽章を聴く度に、新たに生きる勇気を授けられるような気がしてうるうるしてしまう。

最後にちょっと、御薦めの演奏など。録音も含めて御薦めは、定番ではあるがバーンスタインとコンセルトヘボー管のもの。こ れほどの音楽になると、演奏の巧拙に関係なく充分に感動してしまうので、何でも良いとも思われる。がしかし、それと同時に、改まって聴こうとするときに、 最高の演奏でないと勿体ない気がしてしまう。これは、この曲を聴く経験を大切にしたいからだ(本当に、死ぬまでに幾度、この曲を聴くことができるだろ う)。
私はマーラーの交響曲を演奏会で1度だけ聴いたことがあり、これがバーンスタインの来日公演(NHKホール、イスラエルフィ ル)でのこの曲であった。バーンスタインはこの曲に特に思い入れが深かったと見え、重要な時々にこの曲を取り上げていた(BPOとの唯一の演奏会、大阪万 博での演奏会など)。
この名作には他にも沢山の名演奏がある。ただ、マーラーとブルックナーに関してはなるべく音が良い録音から聴き始めたほうが良いと思 う。

ヴィオラソナタ   ドミトリ・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィチ作曲

ここ十年程の間、私が最も近しく感じている作曲家はショスタコーヴィッチだ。ここもショスタコーヴィチで始めたかったのだが、この異形の音楽を最初に書くのは少しためらわれた。

ショスタコーヴィチは現代の作曲家としては相当作品の多い方で、作品番号で147まである。特に中期までは早書きであった ようだ。60歳までに、およそ130曲の作品を書いている。私が特に好きなのは、晩年の作品群である。ここで晩年と言っているのは、1968〜75で、こ の間に14曲作曲 した。どこから晩年と分類するかも諸説あるようだが、私は勝手に絃楽四重奏曲作品133からと決めている。これは、2年間患った重病から復 活した時 期にあたる。この後は大曲を年に2曲ということだが、ペースが落ちたというよりは、じっくり書くようになったということだろう。ヴィオラソナタはその最後の作品と なる。

彼はチェロ、ヴァイオリン、ヴィオラとピアノのための絃楽ソナタ三部作を完成しているが、チェロだけ壮年期で、後の二つは晩年 の作曲。ヴァイオリンは晩年の始まりを飾り、ヴィオラは最後を飾ったことになるが、この両者は、構成上も主題的にも近い関係にある。楽章構成は「緩−急− 緩」の3楽章構成。「緩」の楽章も起伏が激しく中間楽章は舞踏的スケルッツォ。印象としてはブルックナーの第9交響曲の構成を思い出させる。また、第一楽章の主題は、ベルクのヴァイ オリン協奏曲の主題と似ており、ベルク→ヴァイオリンソナタ→ヴィオラソナタの順に音型が単純化されている。私が最初にショスコーヴィッチにのめり込む きっかけになったのは、ヴァイオリンソナタであった。ヴァイオリンソナタは厳しくて暗い感じが強い曲で、ヴィオラソナタはこれに比べると幾分明るい。この ため、ずっとヴァイオリン奏鳴曲の方が晩年らしくて好きだったのであるが、段々とヴィオラソナタの透明感に惹かれるようになった。

以前に雑誌で読んだ研究によると、ショスタコーヴィチは全ての調性による24曲の絃楽四重奏曲を構想していて、ヴィオラソ ナタはその16曲目に当たるはずだった作品なのだそうだ。勿論、幾つか証拠が上げてあった。そうなのかなぁ。私には音楽を分析できる知識はないのだが、こ れは、ピアノと絃楽のためのソナタの三部作の最後の曲として構想された、と思う。弱い根拠の一つとして、ジャンル別の作品数ということがある。ショスタ コーヴィチが自分の作品で数合わせをしていたのは明白で、「自分の全集」を意識して完成を目指していたに違いない。協奏曲では、ピアノ、ヴァイオリン、 チェロそれぞれ2曲ずつだし、彼の中心的ジャンルである交響曲、絃楽四重奏が各15曲である。しかも、各々作曲年代がマチマチで、5年毎に1曲づつ書いて いたというのとは違う。(数えてはいないが、もう一つの創作の中心である歌曲集もこれくらいあるので、もしかすると…。更には映画音楽も?)。ブルック ナーは晩年、あらゆるものを数えないと気が済まない症状になったようだが、芸術家にはこうした脅迫神経症的な部分があるのかもしれない。

第1楽章は、朗朗と弾くビオラが厳しさよりものびやかさを感じさせるのだが、全然楽しくはない。彼特有のひね曲っていく旋 律は、素晴しい歪み加減でゾクゾクする。ときたま、どうしても眠れない夜に、最終手段として、この楽章を子守唄代りにすることがある。私の感覚では、子守 唄としては、絃楽四重奏曲作品144の第1楽章と並んで最高の音楽だと思う。安部公房は、「素晴しい音楽を聴いているとすぐ眠れる」と言っているが、全く その通りだと思う。夢中になって聴きいっていると、他の事柄を考えられなくなって、何時の間にか文字通り夢中になってしまう。

第2楽章は、未完のオペラ「賭博者」の主題の舞踏曲スケルツォ。いつものように過度に滑稽で不気味なスケルツォだ。マーラーは第10交響曲の草稿に「悪魔は私と踊る」と書きつけているが、この言葉を音にしたように感じる。

そして終楽章に入る。ヴィオラの序奏の後、ピアノによってベートーヴェンの「月光」の主題が淡々と奏されると、「最後だ」 という印象が強まってくる。ここでは月光と共に、自作の作品6の主題が組み合わされている。自作や他作からの引用は彼の晩年の作品の特徴の一つであるが、 自作の場合、特に若い時分の作品からの旋律引用が見られる。所謂、人生の走馬燈を見ていたのであろうか。カデンツァ様のヴィオラが終り、音量を増してピア ノとの合奏に戻るところで感動は最高潮に達っする。しばしば、戻して同じところを繰り返し何回も聴いてしまう。

最後にお薦めのレコードなど。二つの対照的な演奏を上げたい。一つはド ルジーニン/ムンチャンの初演コンビである。持っているのはLPだがCDもあるはず。これは規範的な演奏で、ドルジーニンのヴィオラは特に高い音が綺麗 だ。もう一つは、バシュメト/リヒテル。こちらは逆に、流れの悪い即興的演奏で、その分完成度は高くない。しかし、一音一音考えながら弾いているのが伝 わってきて感動的だ。特にリヒテルの音を探りながらのピアノは、聴き手に音楽を再現していく感覚を共有させてくれるものだ。また、バシュメトのヴィオラは 師ドルジーニンとは逆で低音が艶かしい。 それと、ショスタコービチを知りたい方は、ヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」をお薦めしたい。この本は、最近では信憑性の問題から評判が良くな いが、読み物として大変面白い。全てがショスタコーヴィッチ自身の言葉ではないにしろ、この乾いたユーモア、社会を見る天邪鬼な視点は彼自身のものだった のではないかと思う。

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